- 三橋工房は江戸時代から200年以上続く、伊勢型紙を使った型染めの工房です。工房の始まりは江戸時代末期の寛政年間に、初代の松本屋金太郎が本所緑町にて「長板中型(本染め浴衣)」の板場を興した事からでした。
- 長板中型は、布地に型紙をのせ糊で柄をつけるやり方で、布地の両面に同じ柄を染める技法です。この時代から連綿と受け継がれた、独自の柄行きの型紙が、今や2万枚ほどあり、工房の大切な宝物として、代々の職人に使われてきました。
- 工房として大きな転機を迎えたのは、5代目栄三のときです。1950年現在の工房に移り住み、たくさんの職人を抱え三橋染工場を構えました。栄三は、当時人気のあった伝統ある沖縄の紅型を、何とか関東風へアレンジする事が出来ないか試行錯誤を重ねて、先代から伝わる型紙の独特の柄行きをいかしつつ、関東風の色好みで染め上げた「江戸紅型」を作り上げていったのです。彼が生んだ斬新な柄行きと型染めの技法が、工房独特の型小紋になりました。
- それを受け継いだのが、現在六代目をつとめる”三橋京子”です。1968年に嫁いでから型小紋と出会い、義父栄三のもとで夫と厳しく修行をしたのでした。その後夫や義父も亡くなり、1990年には6代目を継ぎ名前も「三橋工房」と改めて、彼女を支える数人の職人とともに、新しい型小紋の世界を築くのです。
- それは、京子自身が店頭に立ち、工房の作品を世の中に出していく環境が整ったため、実際にお客様と触れ合う機会が多くなったことが大きなきっかけでした。京子は、サーモンピンクやターコイズブルー、カーキグリーンなど、着物の配色の既成概念にとらわれない自由な発想のなか、現代人に合う色彩感覚で半幅帯や着尺小紋を次々に染めていきました。そうした取り組みは、江戸、明治、大正、昭和と工房に伝わる伝統的な柄行きを、現代の世に新しくよみがえらせ、5代目栄三の築いた三橋工房の型小紋「江戸紅型」をさらに発展させていったのです。
- 6代目はいつも言います。「お客様がご自分の好きな色や柄行きを選んで三橋工房の型小紋を楽しんで着てもらえたら、それが私は一番うれしい。」と。今日も工房で、真新しい生地を前にして、たくさんの型紙や染料と向き合いつつ、「こんな作品に仕上げたい。どんなお客様が着てくださるかしら。」とイメージを膨らませながら、これから皆様にお届けする素敵な作品を作り続けています。